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History of Kokopelliオーナー経歴 1963 徳島県生まれ 1981 高校卒業後 大阪・中之島にあった辻学園調理・製菓専門学校へ入学 1982 兵庫県川西市のパティスリー&ベーカリーに勤務 1985 大阪ヒルトン ベーカー部門のオープニングスタッフとして入社 福盛 幸一氏(現 福盛パン研究所代表)による開業指導を受ける 1989 弱冠25歳にて世界有数のホテルグループHilton hotelsの一つである ヒルトン大阪の Chaf de partie / Boulangere ベーカーシェフ (製パン・責任者)に抜擢 ![]() 以後10余年にわたりヒルトンホテルブランドの味を守り続け ヒルトン東京ベイ仏人総料理長、ヒルトン名古屋仏人総支配人、ヒルトン東京仏人総支配人 ウエスティンホテル大阪・総料理長兼副総支配人 南海サウスタワーホテル(現スイスホテル)独人総料理長etc.から「これこそが本物!」と言わしめたパン職人として語り継がれる。 ![]() 1999 子供のインフルエンザ脳症を機に北海道へ試験的に移動 小樽ヒルトンにてベーカーシェフとして後進の指導にあたる。 2000 子供の健康回復により定住決意 ココペライ(手稲区)をオープン 2005 台風により罹災 移転決意(阪神淡路大震災に次いで二度目の罹災) 2007 中央区に移転 現在に至る ![]() ![]() ![]() ![]() MOBAC SHOW(製パン製菓国際産業展)の様子。二年に一度2月に東京(幕張メッセ)大阪(南港インテックス大阪)で数日間開催。 世界中から機械食材が一同に会し、各分野のトップシェフのデモンストレーションが(時には同時通訳も交え)真近で見ることができる。 近年はアジアからの見学者が増加し アジアの勢いを感じられる。もちろん一般の方も見学にいけます。 <敬愛する人物> ![]() レイモン・カルヴェル氏(1913-2005) フランス製粉学校、のちのフランス国立高等製粉穀物産業学校Ecole Nationale Superiere de Meunerie et des Industries Cereales(ENSMIC)教授として1936〜1978まで指導 1985 La legion d honneurレジオンドヌ―ル勲章を受ける 欧米はもとより ラテンアメリカ、北アフリカ アジア 近東の国々も含め 世界中にパンを指導して周った「パンの神様」と呼ばれる人物。 カルヴェル氏はパンを科学的な成分分析などあらゆる面からパンを考察し、常に良いパンを作るために情熱を注ぎました。 氏はフランスのみならず それ以外の国でも「正しいフランスパン」を作れるように普及することを目標とし それは氏の哲学でもあると著書で語っています。 高い食材や珍しい食材だけに傾倒することや 新しい手法などに安易に飛びつくことをよしとせず マスメディアが作り上げるイメージ神話なども 時に厳しく 時に熱く語る パンの伝道師でもありました。 1954年に一回目の訪日を果たしたのち 1966年には当時の日本の製粉会社に、フランスの粉に、より近い粉になる製粉をするよう カルヴェル氏が働きかけたおかげで 日本人は美味しいパンの味を知ることができ 現在に至ります。 (もちろんこの影には当時パンに熱い想いをもつ大勢の方々のご尽力もあってのこと) 彼の生徒であったフィリップ・ビゴ氏を1965年にフランスパン普及のため日本にとどまるよう指示し その後の日本でのフランスパンの普及と指導に大きく貢献させました。 ![]() 他にも生徒にはピエール・プリジャン氏など著名なベーカーの多くが指導を受け、現在でも活躍しています。 先出の福森幸一氏はカルヴェル氏唯一の日本人弟子。 博士に誘われ17歳で渡仏。フランス料理界にて腕を認められる日本のパン業界のパイオニア。 日本の食料自給率の低さを憂い、農水省より要請をうけ「シトギミックス」の開発を行った米粉の第一人者。 ![]() デモンストレーションを直に拝見し、講義をうけ、また著書でカルヴェル氏の哲学に共感し 幸運にも氏の弟子、福盛氏とご縁があったことから カルヴェル氏の理念「Bon pain」(ボンパン・・いろいろな意味で「良いパン」)を当店の理想としています。 彼の著書「パンの風味」[パンの技術詳論」「生涯パン一筋」など(いずれもパンニュース社刊)の参考文献は以下のとおり いずれの書物も何度読み返しても趣があり、パンに興味のある方、プロをめざす方いずれにも是非読んでいただきたい良書です。 ![]() ![]() ![]() ![]() 4-10,Kita7Nishi18,Cyuo-ku, SAPPORO, HOKKAIDO
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